313_ニューヨーク_ニューヨーク






ロックフェラー・センターからの夜景1979年

ブルックリン・ハイツからの夕景 1978年8月

イースト川ブルックリン側から 中央右はUN 1979年


















ブロンクスの植物園の奥

正面のトライ・ボロー橋の右がクイーンズ区の北西端、見えないが、橋の右奥にラ・ガーディア空港がある。左橋脚の奥がブロンクス区。右端の島はルーズベルト島。



スタインウェイは橋の向こう側。マンハッタンのイースト川沿いのハイウエーから、Steinway と書かれた工場が見えたが、今はどうだろうか。










ヴェラザノ・ナロー橋 右側がリッチモンド区 1979年

スタテン・アイランド・フェリーから 右隅の黄色い船がフェリー 1986年

1970年頃、泳げるかな、と思って行ったスターテン島東側のビーチから内陸に向かって撮影。一面の雑草だった。





多分1970年初頭のセントラル・パーク


1977年5月のタイムズ・スクエアの一角
 下4枚 2010年

 フィフス・アヴェニュー 18ストリート

 ユニオン・スクエア

 右、歩行者信号器下の黒い物体はダンプスター。工事現場や引越時に契約し、ゴミを投込む。鉄の車輪が付いていてウインチでフラット・ベッド・トラックに引上げる。手押しの1m四角程のもある。1975年

ニュー・ヨーク市立図書館裏公園のゴミ箱 2016年











 トークン もっと古いのを所有している筈なのですが

 2009年 地下鉄/バスカードの表裏





































 1974年 角に電話ボックスとその右に緊急用連絡箱(警官用?)

  2010年5月

2016年7月 大手ではない電話会社の公衆電話




































2010年 これはシカゴ。ずらっと並んだ新聞、情報誌の自販機。 2016年 スマート・フォンの普及でマンハッタンでは見かけなかった


2016年 自動販売機ではないが、無人レンタル・バイクの列









































































































ニュー・ヨーク、そして ニュー・ヨーク、ニュー・ヨーク

  マンハッタンのつもりでアメリカ人にニュー・ヨークの話をすると、ピンとこない方もいるので御注意を。
東京でも都区内なのか都下なのか紛らわしいのと同じ事。 新宿とか渋谷、武蔵野市のように場所を特定しますね。
アメリカ人でしたらマンハッタン、ブルックリン、ブロンクスの各区の名前は、まず誰でも知っています。で、ニュー・ヨーク市の事ならばシティ・オブ・ニュー・ヨーク、又はニュー・ヨーク・シティと呼ばなければならなりません。 
ニュー・ヨーク市内では、ザ・シティと呼んでいる人が多いとの事ですが、余り聞いた事はありません。
タイトルの最初のニュー・ヨークは、州、市のどちらとも取れますが、”そして”の後のニュー・ヨークでニュー・ヨーク市ニュー・ヨーク州と場所を特定します。 順序は逆ですが、大阪府大阪市と同じ呼び方です。
左向きの三角形の底辺の直角の角に合わせ、その下に 2/5 の長さの三角形を下向きに付けたのがニュー・ヨーク州の形と言えるでしょう。北と北西はカナダに接しています。
ニュー・ヨーク市は、下の三角形の下の部分を又、細い三角形に絞った先。マンハッタンはその先っぽのほんの一部の細長い島です。

市はマンハッタン。ハーレム川を挟んで北、北東のブロンクス。マンハッタン島の東を流れるイースト川を渡って、クイーンズ。クイーンズに接した南側が、ブルックリン。そしてマンハッタン、ブルックリンと湾を隔てて、リッチモンドと 五つの区から構成されています。 ブロンクス区以外は全て島。
クイーンズ、ブルックリンはロング・アイランド、即ち長島さんの一部です。どの位長いかというと、アメリカ最長、アメリカ人に言わせると世界最長。 確認はしていません。
もっともリッチモンド区はその島の名前、スタテン・アイランドの方が有名で、正式名で呼ぶ人は少ないようです。 

ニュー・ヨーク市の大きさは767平方km、人口は750万人位。 東京23区だけの資料が入らず、東京都と直接比べるのはおかしいのですが、広さは2187平方km、人口 1300万人(その後の調べで 23区面積 621平方km 人口 900万人 2012年12月)。


 マンハッタンの大きさは 57平方km(世田谷区が 58平方km)。 西側のハドソン河を底辺とした南北の細長い台形を考えて下さい。巾は広いところで 4km 一寸。 ミッドタウン辺りで 3km 一寸という所でしょうか。 実感として巾はもっと広いと思っている方が多いのではないでしょうか。
 住んでいる人は約 150万人。 (2015年で 約165万人)


ブルックリンは区としては二番目の大きさですが、人口は 200万人以上。 
ブルックリン・ブリッジが完成する迄は、独立した市で、その感覚でいくと、全米4番目の人口となります。 今でもその感覚で生活しているブルックリナイトは少なくないようで、合併前は、プライドとニュー・ヨーク市に対する強い競争意識がありました。 
今でも野球のロスアンジェルス・ドジャースをブルクリン・ドジャースだった頃と同じように扱っているファンが相当いるようで、昨日は昨日、今日は今日の日本人とはかなり異なります(私は今でも国鉄スワローズと西鉄ライオンズが懐かしい。そう言えばサンフランシスコ・ジャイアンツもブルックリンで創設です)。


各区には全て独自の趣があり、場所によっては、これもニュー・ヨークなの、とがっかりする人も多いようです。 東京都23区も同じ事。中央、千代田区等と、杉並や台東区等が異なるのと同じ事です。

ブロンクスのハドソン河に面した西側は高級住宅街、東側の海に面している区域も悪くはありません。 そして有名なブロンクスの植物園と動物園。 両方共広い敷地を有し、北半分の植物園奥の方は自然そのもの。 騒然たる外部から隔絶されており、これもニュー・ヨークの市内なのかと目を疑います。
住民をほっとさせてくれる場所の一つですが、この南側の延長は例の悪名高きサウス・ブロンクスの延長。 少しづつ良くなってきてはいます(1970,80年代は焼け落ちたアパート・ビルが軒並みでした)。(2016年 ヤンキー・スタジアムはハーレム川の傍、今は地下鉄だけでなく、郊外電車用の駅が暫く前に新設され、目の前に停車してくれます。地下鉄で行った時は、少々覚悟が必要でした)

クイーンズはイースト・リヴァーに面する軽工業工場、倉庫群を除けば、殆ど住宅地と呼んでよいでしょう。 北に海に面して、ラ・ガーディア空港、南、ジャマイカ湾に面してケネディ空港。 昔にはフラッシング・フィールドという飛行場もありました。
ラ・ガーディア空港の北西にあるのはライカーズ島。刑務所があります。島の南東はラ・ガーディア空港の目と鼻の先。地図で見ればクイーンズ区の方が近いのですが、ブロンクス区に所属。但し、郵便番号等、行政的にはクイーンズ区だとか。昔、ラ・ガーディア空港を拡張する為に埋立を行い、近くなってしまったのでしょう。
ラ・ガーディア空港から南東に 3km 程行くと、メィジャー・リーグ NY メッツのシェア・スタジアム、その南、1km 程先にフラッシング・メドゥ公園があります。ここは1964年の世界博の会場だった場所を公園にしたもので、モニュメントが残されており、高速道路から良く見えます。エルヴィス・プレスリーの映画で、此処を主題にした映画がありました。
科学博物館もありますが、今の時代有名なのは、全米オープン・テニス開催で有名なスタジアムでしょう。
序に、他の章でも出てくる話があるのですが、ここで紹介しておきます。西北端にスタインウェイという場所があります。 有名なスタインウェイ・ピアノと同じ名前。
ハイ、スタインウェイのピアノは此処で造られています。 私はドイツとアメリカのスタインウェイは別会社、ドイツの方が歴史も古いと思っていたのですが、大間違い。
ドイツの家具工場で家具を作っていたスタインウェイ氏がアメリカに移民。ドイツでも造ってはいたようですが、ピアノ工場を建設したのはアメリカ。最初はマンハッタンに開設。その後、未だ開発されていなかったクイーンズ区の西北端に大きな工場を作りました。時代が良かったのでしょう、従業員用の街迄作り、専用の路面電車も走らせていたとか。ラ・ガーディア空港の元々の地所にはスタインウェイ開業の遊園地があった程。

ケネディ空港が面している湾を囲む様に東西に長く突き出ているのはロッカウェー半島。ケネディ空港から遠くに、海の上、走行する地下鉄が見えますが、これは湾の中にある島の両端に橋を渡して半島とを結んでいる線。地下鉄料金は基本的には何処に行っても同一料金ですが、この半島は別。倍になります。半島内は公園で、有名なブルックリン区のコニー・アイランドの混雑は嫌いだが、もっと東のジョーンズ・ビーチ迄行くのが面倒な人は、此処のビーチで海水浴をします。自然保護区もありますし。


リッチモンド区は少々説明に困る島です。自由の女神像はハドソン河対岸のニュー・ジャーシー州(NJ)に所属しますが、その伝で行けば、このスタテン島、北と西は直ぐに NJ。 NJ に所属してもおかしくはない位置関係となります。
渡るにはマンハッタンの南端から出る、有名なスタテン・アイランド・フェリーかブルックリン区の南西、1964年の開通時から長らく世界最長だったヴェラザノ・ナロー橋を渡るしかありません。吊られている部分の長さは約 1300m 、橋の下部から海面迄は最大で約 70m。大きな船でも通過できます。ニュー・ヨーク・マラソンの出発点となっていますから御存知の方も多いでしょう。
島の西側と北側は、狭い箇所で巾 4, 50m 。西側には橋が2本、北側にも1本。 西側の1本は、これ又有名なゴータルズ橋。長く高い橋は、周囲に高い建造物が無いのでかなり目立ちます。1928年に完成。海を渡る部分のスパンは約 200m 、取付部を含め総全長は約 2100m。船の航行用に、橋の中央部での海面からの高さは約 42m 。私が居た頃は、遠くから見ると錆っぽい色に見え、何となく怖く、利用したのは数回でしょう。現在、平行して新しい橋を建設中です(2016年12月)。
北側は昔から波止場で、桟橋が何本もありましたが、現在は大コンテナー・ターミナル。 北東側にはフェリー・ターミナル発の電車が、海岸から少々離れて南端迄営業しています。 私がニュー・ヨークに着いた頃は、未だ農園がかなりあったのですが、今はどうなのでしょう。住宅地が相当増えた事は知っていますが。 ヴェラザノ・ナロー橋の南側にはブロード・ウォーク(巾が広く長さも何十m〜何百mの木製デッキを想像して下さい)と砂浜のビーチがあります。昔、行った時は何も無く、陸側はススキ原でした。海水浴とシャレて行ったのですが、それどころではありませんでした)。

一番特異なのは、矢張りマンハッタン。 私は日本から来る人に、「マンハッタンはアメリカではありません。」 一番特異なのは、矢張りマンハッタン。 私は日本から来る人に、「マンハッタンはアメリカではありません」 と言うのですが、皆、最初は不思議そうな顔をします。 「アメリカの中の外国なんですよ」 と再注意。 マンハッタンがアメリカの代表と思われるのは一般アメリカ人でも迷惑なのでは、と思います。それ程特異なのです。
(2016年 今年の夏、3日程マンハッタンに居ましたが、増々、その気が強くなっていました。
一つの理由として、中心街で歩いている多くが居住者ではないのではないか、と云うことです。
とにかく外国語が飛び交っています。勿論、移民一世は母国語を使う人も多いのですが、服装も観光客とは少々違うので判断はつきます。)と言うのですが、皆、最初は不思議そうな顔をします。 「アメリカの中の外国なんですよ。」と再注意。 マンハッタンがアメリカの代表と思われるのは一般アメリカ人には迷惑でしょう。 それ程特異なのです。



 ニューヨークの道路で見かけるもの見かけないもの、 その一

 1995年に帰国した折り、東京の街中を歩き回った時に困った事が一つありました。 それは道路上にゴミ箱がない事です。 
なるべくチラシは受け取らないようにしていましたが、半強制的に渡される事が往々にしてあります。 しかし捨てようにも捨て場所がありません。 結局、駅のゴミ箱迄待つか、家に持ち帰る羽目となりました。
アメリカ以上に街路でチラシとか物を配る日本、ポケットの多い冬はともかく夏には本当に困ります。 アメリカでは郊外は別として、人が集まるような所には、必ずゴミを捨てるカゴか箱が置いてあります。
日本の商店街や住宅街では、店や家の人が掃除をし、打ち水をするという習慣がまだ残っているようですね。 マンハッタンでも良心的な店主は店先を何時も綺麗にしています。 日本人の方が公共的な精神に富んでいるとか、綺麗好きという言い方もあるのでしょうが、これとは問題は別。 不便なものは不便。
通行人や店の経営者の道徳感に頼る行政というのも少々考えものです。
マンハッタンの中心では、殆どの交差点の角に鉄製メッシュのカゴが置いてありますが、これは清掃局の管理になるもので、朝方ゴミ収集のトラックが交差点毎に止り、清掃局員がカゴの中身をトラックに放り込んでいるのを見かけます。 もっとも、東京の中心街で主要な交差点毎にゴミカゴを置くというのは、交通渋滞とか経費の問題で不可能なのかもしれませんが。 
歩道の清掃もマンハッタンの地区によっては 、その地域の商業委員会とかが、人を雇って掃除させている所もあります。 
ニュー・ヨーク市が倒産寸前だった1970年代に比べると随分と綺麗になったものです。 あの頃は汚れ放題で、来た人には汚い街だ、という印象を残していたでしょう。
逆に日本ではそこらにあって当たり前、しかし、こちらの道路上であまり見かけない物があります。。

それは自動販売機。 勿論、コーラとかソーダ類の販売機は、ホテルとかハイウエーの休憩所、ガソリン・スタンド、会社や学校のカフェテリア等に置いてあります。 又、ホテルとかカフェテリアのソーダ・マシーンの横には、必ずと言っていい程キャンディとかポテト・チップが入っているベンディング・マシーン(自動販売機)も置いてあり、場所によってはシガレットのマシーンも並んでいました。 ダイナーに行けば、まずカウンターの上にジューク・ボックスの小型版、キャッシャーの傍にはタバコ販売機。 もっとも最近は健康と青少年への影響を考慮し、又、シガレットの値段が大幅に上がった事でもあり、まず見かけません。
ダイナーというのは、その名の通り食事処。 気楽に入って安く食事のできる食堂、 といってもメインはハンバーガー。 ハンバーガーかホット・ドッグにポテト・チップを添え、コーヒー。 それでも足りなければデザートにでっかいアップル・パイ。 
コーヒーは、今でも継ぎ足しはタダという所があり、有り難いサービスです。 もっとも昔はどこでもそうでした。 来た当初は 5 セントで飲み放題。 コーヒー好きの私には堪えられませんでした。 もっとも日本で「お茶飲み放題」というのと同じ事。 日本ではコーヒーが高かったので得した気分になったのでしょう。 
ダイナーと言えば、普通は道路脇にあり・・・当たり前じゃないかと言わないでください。 賑やかな所には余り無いという意味です・・・アメリカで道路脇のダイナーと言われて、まず頭に浮かんで来るのは、ステンレス製のアート・デコーの箱、昔の大陸横断鉄道の食堂車から車輪を外してそのまま地面に置いたような姿をしているヤツです。 長さも奥行きも丁度そんなサイズ。
映画でよく見てはいましたが、実際に始めて見た時は、どこの鉄道会社が払い下げたのだろうか、どこの鉄道車輌工場で作ったのだろうかと一瞬銘板(鉄道車輌に必ず付いている小さな板。製造会社,製造年を表記してあります)を探そうと思った程です。 
このアイデアを最初に考えた人は素晴らしいですね。 イメージを植付ける、看板がなくても遠くからダイナーとすぐ分かります。 そして基礎工事さえしておけば、トレーラーで運んで据え付けるだけ。 味も素っ気もありませんが大変に合理的(このタイプのダイナーは少なくなって探すのが大変です。マンハッタンにも、このタイプのダイナーが幾つかありましたが、今は 1, 2 軒の希少価値。観光客が喜んでいるようです。


 街中の普通のダイナー 1971年

アメリカでは絶対に見られない自動販売機があります。 アルコール飲料がそうです。 憲法を改正して禁酒法迄作った国、州によっては、ハード・リカーの日曜日販売禁止があります。 ニュー・ヨークでもスーパーにビールが山と積まれていますが、日曜の午前中には売ってくれません。 これは未成年対策以前の宗教的理由からです。 自動販売機ですと何時でも買えますからね。 昔、東京で見かけたコンドームの販売機もないでしょうね。

さて、自動販売機、上記以外、都会で余り見かけません。 駅ではどうでしょう。
現在は全く使われていませんが、以前は切符とかトークンの販売機が1980年代だったと思いますが、置かれるようになりました。これは硬貨状で、地下鉄のホームに入る時と、バスの料金箱に現金の代わりとして入れていました。 
これにとって代わったのがマグネティック・ストライプ・カード・タイプ。皮肉なのは、1994年から使われ始めたのですが、最初は買っても何のメリットもないと使用者が増えず、又、使用者が少ないからカードが使える改札口の増設が遅れる、と鶏と卵問題になりました。 
しかし、本数を減らし、サービスを落した事により巨額の黒字を生み出し、その使い道について議論が沸きました。 最終的には回数券に特典を付ける事で決着。 
今迄無かった一ヶ月乗り放題で定額の割引制のカード迄出現。 皮肉にも公共交通機関の利用客が急増してしまいました。 

カードの自動販売機はまだ出現していませんが(当時)、駅以外の特定の店でも発売していました。 トークンの販売機は、地下鉄の場合、大きな駅だけ。 置いてあっても入口当り 1, 2台。小さい駅には全くありませんでした。
地下鉄は、殆どの駅の場合、入り口が2ヶ所。 それもラッシュ・アワーが過ぎたり、夜になると、ローカル駅では車掌の乗っている位置(車掌は列車の真ん中の車輌にいます)に一番近い入り口しか開いてません。 カードが普及する以前は、時間帯によってトークンを買う人が窓口にズラッと並ぶ光景がよく見られました。
買い置きをしておけば良いのですが、何枚も持っているとジャラジャラと重くなります。こんな時に電車が来たりしたら、もうお終い、次のを待たねばなりません。

トークンは廃止され、どの駅にも日本のような券売/補充機が設置されています。ペラペラのカードで、使い捨てに近いものですから保証金はありません。期間内ですと、同じカードに追加チャージもできます。読取機もあり、後何回乗れるかが判ります。クレジット・カードか現金ですが、現金で払う場合、何回券を何ドル札で買うかをを考えないと、500円硬貨よりも重い1ドル硬貨の釣りがジャラジャラ出てきてポケットが途端に重くなります

地下鉄からバスの乗り換えもカードを使えば決められた時間内は追加料金無し。 地下鉄同士は何時でも何処でも乗り換え自由。 バスの乗り換えでは、カードが無い場合、運転手に「トランスファー」と言うと紙切れを呉れます。これを制限時間内に乗り換え先の運転手に渡すと一回タダになります。 又、カードを持たずに乗車する場合、小銭かトークンを持っていないと降ろされます。料金箱盗難を無くす為、釣は用意していません。(地方では釣りが出るようになっており、札でも大丈夫ですが)バスも地下鉄も一部を除いて一区間制で、どこまで行っても同一料金。

そういえば、私が来た頃は地下鉄駅のホームの柱に小さな自動販売器の箱が設置してありました。
ガムとかティシュ用で、何でも 5 セント。 手間がかかる割に儲からないという事か、この何十年も見かけていません。
何故こんな不便な事になったかの理由として、盗難やイタズラと宗教道徳が上げられますが、それ以外に、一般的にアメリカ人は日本人より保守的で変化を余り好まない、と書くと驚く人が大勢いると思います。  これは追々説明していくつもりです。 

次にサービスを求める。 これは人間同士で接触する方が良い、という考え方、即ち、もっと人間的であるという事でしょうか。
マンハッタンだけでなく、私の住んでる街でも、通りの店は朝 9時頃には開いていますし、スーパー・マーケットとか、その他、新聞やドーナッツ、コーヒー等を置く朝関係の店は、7時か、それよりから早く開けています。 別に日本のコンビニの事を言っているのではありません。 勿論セブン・イレブンとかは 24時間やってますし、ガソリン・スタンドも最近は多角経営で、スナック、ソーダ以外に生活必需品を置いてミニ・マーケット的になり、街中でも結構終夜営業している所があります。 朝の通勤時に店が開いているというのは、気分が良いものです。
お腹が空いていれば、コーヒー・ショップに飛び込み、カウンターで何かパクついても良いですし(相変わらず、エッグにトーストとコーヒー、足りそうに ない時はそれにソーセージ、ベーコン、又はハムをつけて貰う。 ドーナッツ(ヴォリュームがあり、日本のようにフワフワしていない)にコーヒーもいいですね。
殆どの店でモーニング・サービスをやっています。 デリでテイク・アウトしてオフィスで食べるのも悪くない。 駅のスタンドで牛乳の立ち飲み、ソバの立ち食いなんてのはミジメ過ぎます。 (2016年現在で言いますと、デリのランチも大分値上がりしました。500円では厳しいでしょう)

自動販売機は人に煩わされないから良いという人もいますが、逆に煩わしたり、煩わされたりするから良いという事もある筈です。 手の遅い店員などにぶつかった日には(これが又、結構多いんですね。アメリカでは)イライラしてしまいますが、忙しい時間には店の方も手の早い人をカウンターに出すようで、余り待つ事もありません。

自動販売機を置いてない大きな理由、イタズラと盗難ですが、なんせ、たいした金額になる訳でもないのに公衆電話迄盗まれる所。 私が来た頃は、料金返金口奥に何かを詰め、何らかの方法で電話がかからないような幼稚な細工をしていました。 
受話器を外し、硬貨を入れダイヤルしてもダイヤル・トーンが聞こえず、返却レバーをガチャガチャさせますが、勿論お金は戻って来ません。
貯まった頃を見計らって,返却口からお金を失敬というやり方です。 
ひどい時は、何ブロック歩いても、まともな電話が無かった、てな事もありました。
その後、必ず受話器を外したら、プーと鳴っているのを確認して硬貨を入れろ、と大きく注意書きを付けたり・・・昔はお金を入れる迄、鳴らなかったような記憶があります・・・
ダイヤル式の電話器の方がイタズラし易く、又、壊れ易いので一般用よりも早く一斉に押しボタン式になる等、電話会社もイタチゴッコを懸命にやってました。
10年程前に流行ったのは,とうとう電話器ごと外してしまう、という荒業。 日本でも一時あったようですが、ニューヨーク市内では取り付けが間に合わなくなって社会問題になった程。 その後、設置方法を変えて、ある程度、決着が着いたようです。
マンハッタンの公衆電話は、昔は別として、殆どがボックス無し。 スタンドに取り付けられ、電話器を保護する為の雨除けが上と三方に付いているだけ。 
即ち何処からでも見えますし、音も筒抜け、それでも盗む奴がいるのです。 それがフィフス・アヴェニューに面しているような所であっても。  
ボックスに設置すると、只でさえ盗難に会うのに、その上トイレ代わりに使ったり、悪い事に使う輩が多すぎるのです・・・・下らないチラシがベタベタなんてのは、本当に可愛い方です。 

(2016年 最近、日本では殆ど見かけませんが、アメリカでは立小便は厳禁。タクシーや配達トラックの運転手はどうするのかと思っていましたら、ドアを開け不審な動きをしているのを何回か見たことがあります。通り過ぎにヒョット見てしまったのですが、半開きのドアの裏で、窓から上半身しか見えないよう腰を少し落し、ズボンの下からは水が流れ出していました。
まだマクドナルド等がニュー・ヨーク市に進出する前。デリでは公衆トイレが無い店が多かったですし、コーヒー・ショップに入るのも気がひけたのでしょう。駐車違反取り締まりも日本より厳しいですし。ファースト・フード店が増え、歩行者には便利になりましたが、駐車を考えると、今はどうなんでしょうね。)

公衆電話が出た次いでにもう一つ。 テレフォン・カードといえば日本では使い捨て。 アメリカもこの一、二年使い捨てのカードが出てきました。(2016年 これも携帯電話の普及で使われていません)
空港内等、一部の電話器にはクレジット・カードやアメリカ式のカードを入れるスロット付のものがありますが、殆どの公衆電話器にはスロットがありません。 

カードといえば、一般的には電話会社に申請して貰うものが主流。 表にはナンバーと名前が打ち込んであり、裏にはマグネットのストライプ。 クレジット・カードと同じです。 
カードを使うには受話器を取り上げ、カード発行会社の電話番号を押し、会社名のアナウンスがあった後、通話先の番号を押します。 ポロンという信号音を待ち、信号音の後に自分の番号と暗証番号を押すとカードの電話会社のアナウンスが又入り、会話を始める事ができるのです。 ですから 10何桁かの番号を記憶できれば、カードは必要ありません。

問題はこの番号を押す時に周囲に挙動不審者がいたら要注意。 受話器を取ってコインを入れる動作が無いのでカード・コールと直ぐ判り、手許を見ていれば番号が知れてしまうのです。 
最近はセルラー・フォーンのナンバーを盗む問題の方が大きくなり、又、長距離電話料金が大幅に下がって来た為に余り話題になりませんが、一時はバス・ターミナル等人込みで使用する時は注意するように、とマス・コミでしょっちゅう報道していました。
極端な場合ではバス・ターミナルでバルコニーから双眼鏡を使ってナンバーを盗み見していたグループがいたようです。 盗んだ番号は、その場で売ります。 特に最近移民して来たような人を選び、自国と好きなだけ話ができる、と話かけます。 話が成立すると、その場で電話をかけてやり、又、次のカモや客を探します。 
同じ番号を使うのはせいぜい二、三時間ですが、殆どが国際電話の長時間ですから被害は甚大。 請求書が来た時には何百ドルもの身に覚えのない料金が加算されています。 もっとも長距離電話会社と交渉して確認が取れれば支払う必要はなくなりますが。 

この事件が減ってきた理由のもう一つは、ダイヤルするのに 26 桁もボタンを押さなければならなという事もあるでしょう。 最近はメジャーの市外電話会社とは関係ないテレフォン・カードが出回っています。 ニュース・スタンド等で買えますが、使っているのは外国からの出稼ぎ者が多いようです。

(2013年 携帯電話普及で、日本と同じ様に公衆電話は少なくなりましたが、まだ見かける事ができます。 但し、自由化後の新しい小さな電話会社所有のものが多く、掲示をよく読まないと金ばかり取られてしまう・・・繋がらずに硬化ばかり取られる・・・電話機が多いようです)

(2016年 マンハッタンでは結構見かけます。国外の観光客には携帯の国際料金はべらぼうに高いですし、レンタルも短期では割が合わない。今回1ヶ月滞在で、プリペイドを購入しましたが、3日で電源が入らなくなり、製造会社に抗議したのですが、電池は届かず、再三の連絡でも埒があかず、結局、他会社の2台目を購入する羽目になりました。 アメリカ国内のみの通話でしたら、使い捨てがお得。もっともアメリカの居住所が必要な場合もありますので、事前に確認を)
2013年 携帯電話普及で、日本と同じ様に公衆電話は少なくなりましたが、まだ見かける事ができます。 但し、自由化後の新しい小さな電話会社所有のものが多く、掲示をよく読まないと金ばかり取られてしまう・・・繋がらず・・・電話機が多いようです

さて本題に戻りましょう。あの大きなソーダ・マシーンにどの位のお金が貯まるのか知りませんが、紙幣で入れられるのは 1ドル札迄 。

(2013年 5ドル札を受け付ける機械もありましたが、2012年に泊まったモテルでは釣りが出ず、カウンターに文句を言っても、見ていなかったから、と取り合ってくれなかった。 公共交通機関の販売機では20ドル札も使えるが、釣りは1ドルを含め硬貨のみでジャラジャラと出てくるので財布が重くなる)。

大した金も入っているとは思えないのですが、公衆電話を壊す位の連中には何の防止対策もないでしょう。 それに周囲との調和を崩すという事もあります。 ですから大都会ほど路上で自動販売機を見かけないのです。
しかし昔無くて、今、マンハッタンあちらこちらの街角で見られる自動販売機があります。 
新聞とかニュース・レターの入っている箱です。 ニュース・レター、というよりは広告新聞みたいなものは、まず無料。 新聞も(当時は) 75セント位で大した部数も入っておらず、被害が少ないのでしょう。 壊れたのも結構見かけますが、殆どの箱は横断歩道のすぐ脇に並んでいるので、歩道上に鎖で止めてある自転車と共に邪魔。 その内に減るでしょう。

自動販売機使用上での問題点もあります。アメリカのコインはペニー(1セント)、ニッケル( 5セント。ニッケルで作られているので)、ダイム(10セント)、クォーター(25セント。 1ドルの 1/4 です)、ハーフ・ダラー(50セント)、1ドルとなっています。
日本でいう所の500円硬貨、5ドルに当るものはありません。  50セント、1ドル硬貨は余り見かけませんし、殆どのマシーンが受けつけません。 
普通のベンディングマシーンでは、20ドル札で、お釣りが出てくるのは別として、せいぜい1ドル紙幣迄で、硬貨しか使えないものが結構あります。
又、私も含めてですが、アメリカでお札をきちんと札入れにしまう人は日本程多くありません。 お釣を貰ってそのままポケットに入れたり、バッグにクシャクシャと放り込んだり、結構ボロボロのお札が通用しています。 
マシーンでお札が使える条件として、四隅がキチンとあり、紙と印刷がしっかりしていなければなりません。1 ドル札でも中々くわえてくれないのに、それ以上の高額紙幣が使えるようにするのはもっと大変。 そして、使用者は綺麗な紙幣を用意しておかなければなりません。
高額紙幣を受け付け、それなりの釣りを用意すると、又、盗難、イタズラ、の心配が出てきます。

グランド・セントラル・ターミナルでは、20ドル札が使える切符販売機がありますが、これは例外。 ポリスがあちこちにいますし、人目も多いのでイタズラはまず不可能。
シガレット・マシーンでは硬貨しか受け付けないのもありました。 こんなのは何の為に置いてあるのか分かりません。 数年前、仕事先にあったのは一箱 2ドル25セントだったのですが、 25セント玉で 9枚。 誰がこんなに小銭を持って歩いてますか。
高額のコインを発行するという意見も何回か議会に出されていますが、その度につぶされています。財布が重くなるとか、失くし易くなるとか、もっと偽造硬貨がベンディング・マシーンで使われるとか。 (蛇足 高額になる程、製造費の割合は低くなるので作れれば儲かる。難しいですね。逆に 1 セントは銅製で、銅の値が一時極端に上がり、見かけられなくなって釣りを出すのに困った事もありました。相当な量のペニーが潰されたようです)
偽造ではありませんが、カナダの硬貨はアメリカとサイズが同じ。 ハイウエーの自動料金徴収所では困っているようです。 額面は同じですが、カナダ・ドルもここの所ずーっと下がっていて価値はアメリカ・ドルの7割以下(当時。 現在は識別能力が上がっている筈です)。

ついでに、お金の事をもう少し。
コインの方が紙幣に比べ流通期間が長くなり、コストも長期的には安くなるので、何回も議会で硬貨の流通を増やそうとする議論がされました。 紙幣が実際にどれ程の期間流通しているか知りませんが、平均半年位のものでしょう。 
使えなくなった紙幣をどうするかという問題もあります。 細かく裁断して燃やしているようですが、コストとか環境汚染の問題もあります。 
そういえば70年代の一時期、$の形をしたアクリル容器に裁断された紙幣を詰め、売り出した人がいました。 もうお金ではありませんから、造幣局はいくらでも払い下げます。何種類かのサイズを作り、これ一個でワン・ミリオン・ダラー入っているとか、話の種に、と結構売れたようですね。
コインの流通量を増やす為に、デザインを変えた新しい 1 ドル・コインを1979年から発行し始めました。 俗に言うスーザン・アンソニー・コイン。 
スーザン・アンソニーは実存した女性としては始めてコインのデザインに使われた人物。 女性の地位向上と、女性の自由を獲得する為の堕胎容認運動、選挙投票権獲得に貢献し、80才まで先頭に立って戦った豪傑女史です。
1870年の憲法への追加により、白人以外でも選挙権を得られるようになりましたが、女性が投票できるようになったのは、1920年の追加憲法から。 民主主義国アメリカとしては、少々不思議な感じがしますが。
アンソニーばあさん、1872年の大統領選挙には、投票をして逮捕され、罰金刑を受けましたが、収めるのを拒否したようです。
とにかく、女性の地位の均等が新たに叫ばれるようになった頃に、実在の女性を使って通貨面での既成事実を作り上げました。 
しかし大不評。 まず第一に、重い、かさばる。 次に使えるヴェンディング・マシーンが少ない。 政府の目論見は 1ドル・コインの流通を増やす事によって、コインの使用者が増え、1ドル・コインも受け付けるマシーンが増えるという目論見だったのです。
マシーン業界の方では、コインが行き渡り、多数の人が使い出す迄は、改造したり、新しい機械を製造しないという考え方。 鶏と卵。 キャッチ・トウエンティトゥになってしまったのです。 
一時、ハイウエーの料金徴収所のお釣に使うとか、使用キャンペーンもしましたが、とにかく人気がありません。  
後一つの理由としては、ハーフと一ドル・コインの間にサイズや重さの違いがあまりない事があるようです。 スーザン・アンソニー・コインの縁取りの内側は円ではなく、11角形で盲人にも分かり易い、という事だったのですが、目明きは確認もせず、つい使ってしまうようです。
これ以前の1ドル硬貨も余り使われていません。 初期のケネディ大統領を記念した1ドル・コイン迄は、銀がかなり含まれており、死蔵されてしまうからです。


硬貨の話の次いでにアメリカの通貨の事を。
直接に日米の通貨を比較するのは無茶ですが、紙幣の方では、1ドル、2ドル、5ドル、10ドル、20ドル、50ドル、100ドル札が一般的に使われている紙幣。 現在の日本ですと、500、1000、2000、5000、1万円札となりますね。 私の小さい頃は、10円とか100円紙幣もありましたが。
お札の話のついでに蛇足。 私は 1930年代の 20ドル紙幣を見つけ、保存しています。 これは最近迄印刷されていた旧 20ドル札と一見して同じ。 
一目で判る違いは金との兌換が出来るという印刷がある事ですが、これについては後程書く事にします。
硬貨の話の次いでにアメリカの通貨の事を。
紙幣の方は、1ドル、2ドル、5ドル、10ドル、20ドル、50ドル、100ドル札が一般的に使われている紙幣。 
現在の日本では、500、1000、2000、5000、1万円札となりますね。 私の小さい頃は、10円とか100円紙幣もありましたが。
お札の話のついでに蛇足。 私は 1930年代の 20ドル紙幣を見つけ、保存しています。 これは最近迄印刷されていた旧 20ドル札と一見して同じ。 
一目で判る違いは金との兌換が出来るという印刷がある事ですが、これについては後程書く事にします。
これとは別に、このお札一枚見ただけでは判らない違いがあるのですが、アメリカ人でも気が付いている人は少ないようです。 
20ドルの裏側にはホワイト・ハウスの前景が印刷されています。 よく見ると、昔と今の札では植え込みや周囲の木の高さが違うのです。 即ち新しい方は、木が成長して高くなっています。
1998年から、偽造防止の為に、高額紙幣から順に新しいデザインに代わってきていますが、紙幣の大きさは相変わらず皆同じ。 以前にも増してどの札も同じに見える様な気がします。 使用時には確認を。
アメリカには、もっと高額の紙幣もありました。
私が来た頃は 1000ドル札も使われていたという事ですし、極端な話では、100万ドル紙幣もあったとか。 これを題材にしたグレゴリー・ペック主演の古い古い映画に  ”If  I  had a Million ” というのがありました。 監督は喜劇の先生ルビッチュ。
 日本での題名は「春風と百万紙幣」。ペックが扮する浮浪者に大金持ちが 100万ドル紙幣を持たせ、その後人生がどう変わるかを描いた喜劇。 どこに行ってもお釣は有りません。 百万長者なんだからという事で、札を出すだけで全てが只になってしまいます。 日本でも昔大判一枚持って旅行をしたら、こんな事になったんでしょうね。
百万長者の次いでに金持ちの話しを。

    金持ちの話
昔、金持ちの総称を百万長者と呼んでいましたね。 百万両も第二次大戦前の百万円も大した金額、アメリカでもミリオネアでした。 
しかし今や億万長者にビリオネア、随分とインフレも進んだものです。 それはともかくアメリカでは、昔からミリオネアもビリオネアも数多くいます。 先進国の中で、これだけ貧富の差がある国もないでしょう。
その時代、その時代の日常必需品マーケットを独占状態に程なく近づけてしまえば、必然的に億万長者が出てきます。 
ニュー・ヨークで昔有名だったのはコーネリウス・ヴァンダービルト。 ハドソン河の水運、特にマンハッタンへのフェリー・ボートを牛耳っていたので、コモドール(提督)ヴァンダービルトの名がついた程。 
この男、次ぎは鉄道、と目を付けたのですが、何故か大の鉄道嫌い。 たまたま乗ったら脱線事故に遭い、怪我はしなかったものの、もう二度と鉄道を利用しない、と言ったとか。 
しかし金儲けは別。 買収に買収を重ね、ニュー・ヨーク、シカゴ間を一本の鉄道に纏めてしまいました。 他にも鉄道で財をなした男は多く、ハリマンとかジェイ・ゴールドとかいます。 
悪どい方法で買い占めに走った者も多く、レイルロード・バロンという呼び名も産まれた程。 しかしゴールドの様に、買い占めに失敗し、夢破れた男も又多く、その様な人物には、アメリカは余りにも広すぎたようです。 
ヴァンダービルトも二代目迄。 息子の一人がタイタニック号と共に海の藻屑になった事でも有名です。 そういえば、ジーンと香水で有名になったグロリア・ヴァンダービルトは孫だか曾孫だかにあたります。 
その次は原油、矢張り、ロックフェラーでしょうね。 彼の事はタレイタウンの章で紹介しました。
石油の次は自動車。 ヘンリー・フォードは徹底的なコスト削減を行い、中小企業の倒産、合併を招き、フォード王国を築きあげました。 
メディアではランドルフ・ハーストが全米の新聞社を買い漁り、動物園付きの豪邸を造りましたが、今や博物館になっています。 
その次は飛行機。 進歩が早く、独占できる様な状態ではありませんし、石油掘削技術からの収入が多かったので、少々特殊な部類になりますが、ハワード・ヒューズがこれに入るでしょう(油井掘削ドリルの刃では世界での独占状態でした)。
そして最近ではマイクロ・ソフトのビル・ゲイツ。これもパーソナル・コンピューターのOSソフトでは独占状態。 法務省と係争中ですね。(もうマイクロ・ソフト単独の時代は終りましたが、IT関連の金持ちは相変わらず 2016年)
逆に買い占めに失敗して倒産、又は倒産寸前になった今様百万長者もいます。
銀相場のハント・ブラザース。 1970年代の後半、銀の相場に目を付けました。 私も銀には興味があり、銀相場を見ていましたが、72年の暮れで1オンス3ドル少々。変動の激しい時でもせいぜい2ドル程度の上げ下げ内に収まっていました。
買い占めが始まった頃にはまだ4ドルには達していなかったと思います。 銀価格が徐々に上がる一方なのには直ぐ気が付きました。 写真用フィルムや印画紙の価格がジワジワと上がり出したのです。 
ここ迄来れば身近な話。 しかし銀の需要が急増している訳ではありませんし、大規模な銀山の事故とかストライキがあったというニュースもありません。
ついには 10ドルを超えてしまいました。 この時に囁かれていたのが、誰かが銀を買い占めているという事でした。 
何てバカな事を、というのが私の第一印象でした、用途は広くても、工業用としての代用品はありますし、銀山からでなくても、副産物としての採掘もされています。
各国の潜在保有量も相当なもの。 買い占めが出来るような代物ではありません。何時収まるかと思っていましたら、案の定ドーンと落ちてくれました。 
これはマージンでの売買をしていたもので、実際に金を払っていたのは、その何分の一。 この期日迄に銀の値段が上がるという想定の基に買いのオーダーを入れていたのです。
相場が上がっている間は、何時売っても、買った時との差額分から手数料を引いたものが儲けとして入ってきますが、放っておけば、期日に配達が行われ、買い注文を出した時点での価格で残額を払い込みます。 
しかし値が下がり始めますと、マージン・コールといって、ブローカーが自分のプロテクションの為に値下がり分の追加支払いを請求してきます。 
ハント・ブラザースの場合、銀がどれ位市場に放出されるかの判断を誤った為に、資金が途中で切れ、マージン・コールがかかり、追加金を払いきれず、兄弟揃って倒産に追い込まれたものです。
それでも一時的に世界の銀の何割かを紙の上だけだとしても保有した事は確か。 フューチュアー・マーケットだけでなく、実際に買い込んだ銀も相当あったとか。 勿論差し押さえになってしまいましたが。

 私個人としては、こちらに居て金持ちの生活を三人程垣間見る事ができました。それは後程。

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